私を形作った10の物語 T・N氏

プロフィール

運送、小売など多様な仕事を経験した後、22歳の時に開発の世界へ。ある上司との出会いを機に本腰を入れることを決め、約8年にわたり数々の現場で修業を積む。現在は兵庫県を中心に大阪府・岐阜県など広範囲で質の高い食の提供している。

1. 料理と母

私にとって料理といえば、母の姿そのものです。
子どもの頃はただ空腹を満たすために食べていたけれど、大人になった今振り返ると、あの台所に立つ小柄な母の背中が、私の人生をずっと支えてくれていたんだなと感じます。

母は料理のレパートリーこそ多くはありませんでしたが、一つ一つの味に思いが詰まっていました。
ある日、初めて母がチャーハンに「焼き豚」を入れた時、私と兄は「なにこれ!うまっ!」と大騒ぎ。すると母は照れくさそうに「たまには贅沢してみたんや」と笑っていました。

社会人になって久しぶりに帰省すると、変わらず台所から漂う醤油と出汁の香り。
何気なく口にした味噌汁がやけにしょっぱくて「ちょっと味濃いんちゃう?」と笑いながら言うと、母は「歳とると味覚変わるんや」と言ってました。
それを聞いた自分もいつか同じように言うんやろうなと思ったものです。


2. 読書の時間

読書好きになったのは、中学の同級生から借りた赤川次郎の推理小説がきっかけでした。
夜更かしして読みふけり、翌日寝不足で授業中に舟を漕いでいたら先生にチョークを投げられたこともあります。

以来、図書館は私にとってテーマパークのような場所。
入り口をくぐるだけでワクワクし、重たい鞄を引きずって何冊も抱えて帰ったものでした。
読みすぎて母に「漫画でも読んだら?」と心配されたのは、我が家くらいでしょう。


3. 自転車旅の記憶

大学2年の夏、軽い気持ちで「北海道一周しようぜ!」と友人と盛り上がったのが始まりでした。
ホームセンターでテントと寝袋を買い込み、勢いだけで飛行機に乗って。
最初の数日は楽しかったものの、想像以上にアップダウンの多い道に体力を削られ、熊注意の看板に怯えながら走りました。

ある夜、キャンプ場でインスタントラーメンをすすっていた時、急に雨が降り出しテントに穴が空いてることが発覚。
「お前が選んだやつやん!」と文句を言い合いながらも、最終的には雨の音を聞きながら笑って眠ったのもいい思い出です。

あの時、自分の足で地図を塗りつぶした達成感は何にも代えがたく、社会に出てから「無理かも」と思う仕事があっても、あの旅を思い出すと少し踏ん張れました。


4. 職場で出会った人々

初めての就職先は、小さな会社ながらも猛烈に体育会系の職場で、毎日「喝!」が飛び交う世界でした。
「お前なぁ、社会ナメとんのか!」と鬼の形相の上司に怒鳴られ、帰り道の電車でこっそり涙をぬぐった夜もあります。

でも、そんな厳しさの中でも、同期とはいつしか戦友のような絆ができました。
終電を逃し、駅のベンチで二人でカップラーメンを食べながら「俺ら、何やってんやろな」と笑い合った時間こそが、あの職場で一番の宝だった気がします。

今もその同期とは年に一度集まって、当時の愚痴を肴にお酒を飲みます。気がつけば笑い話になっているのだから不思議です。


5. 海と釣り

30歳を過ぎてから、なにか無心になれる趣味が欲しくて始めたのが釣りでした。
夜明け前、まだ空が紫がかるころに海に出て、静かに糸を垂れると、頭の中がスーッと空っぽになります。

釣果は二の次で、結局「今日はアタリなかったな」と帰りに寄るラーメン屋がメインイベントになることもしばしば。
同じカウンターで偶然隣に座ったおじさんに「釣れました?」と話しかけられ、意気投合して二軒目に行ってしまうことも。
そんな気まぐれな出会いも含めて、私にとっての釣りです。


6. 家族旅行の思い出

子どもが小学生のころ、夏になるとテントを積んでキャンプに出かけるのが我が家の恒例でした。
虫嫌いな妻は最初こそ文句を言っていましたが、焚き火を囲んで食べる焼きマシュマロには「これだけはアリやな」と満足そうでした。

夜、ランタンの灯りだけでトランプをするのが子どもたちには特別だったようで、今でも「あのキャンプまた行きたいな」と話題に出ます。
もっと忙しくなる前に、もう一度くらいあの時のメンバーで出かけられたらいいなと思っています。


7. 苦しかったけど成長できた仕事

40代で管理職を任されたときは、本当に胃が痛かったです。
部下は自分よりずっと年上のベテランばかり。
偉そうに指示をしても、内心「この人たちのほうが絶対仕事できるやん」と思っていました。

それでもチームで何かを成し遂げ、全員で笑顔になれた瞬間は格別でした。
送別会で「あなたの下で働けてよかった」と言われた時は、不覚にも泣きそうになりました。
あの涙腺の緩みは、きっと歳のせいだけじゃなかったはずです。


8. 孫とのひととき

最近は孫が家に来るだけで、家が一気に明るくなります。
鬼ごっこをしていて、気づいたら本気で走ってしまい翌日筋肉痛…という失態も。
それでも「じぃじもう一回!」と言われると、なぜか体が動いてしまうから不思議です。

時々、寝てしまった孫の頭をそっと撫でながら「この子が大きくなる頃には、自分はどんな顔してるんやろ」と想像することがあります。
きっとその時も、今みたいにデレデレの笑顔なんでしょう。


9. これから挑戦したいこと

定年を迎え、時間はたっぷりできました。
若い頃から憧れていたスペインのサンティアゴ巡礼に、いつか挑戦したいと思っています。
10キロも歩けば息が上がるこの体で大丈夫か…いや、それより英語もスペイン語も怪しいのがもっと心配ですが、なんとかなるやろと楽観しています。

地元の清掃ボランティアにも、最近顔を出し始めました。
「こんな歳で新しい友達なんてできるんやろか」と不安でしたが、同世代の方と他愛ない話をするのが意外と楽しいです。


10. 感謝したい人たちへ

こうして振り返ると、人生は思っていたよりもずっと人に助けられてきました。
母や父、兄弟、友人、仕事仲間、そして家族。
私がつまずいた時、そっと背中を押してくれたり、愚痴を聞いて笑い飛ばしてくれた人たちのおかげで、今日までやってこられました。

これを読んでくれているあなたへ。
本当にありがとう。これからも、少し頼りない私をよろしくお願いします。

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